ハーブ・アロマテラピーメーカー&専門店「生活の木」社長
重永 忠さん


社会貢献バンドXQ's
SHIGEさん
レールをつくる生き方、三代目
 重永忠さんは、原宿の表参道で三代続いた商人の家に生まれた。漠然と商人と書いたのは、三代それぞれ商売の内容が違うからだ。初代、つまり彼の祖父は写真館を営んだ。二代目である父君は、そこで陶器店を始めた。そして、三代目の彼は――。
 商売の内容が違うのは、逆に言えばこの三人が似たもの同士だったということなのだろう。つまり、三人とも親の敷いたレールは走らなかった。パイオニア精神の持ち主なのだ。
 明治生まれの男性に写真館が、かなりのチャレンジだったことは想像に難くない。その息子は、撮影の手伝いで訪ねた外国人の家でテーブルに並んだ洋食器に目を奪われた。これからは日本の家庭にも洋食器がどんどん入ってくるという直感に導かれ、彼は陶器商となった。そしてその息子、重永忠さんは陶器商である父が、アメリカから土産に買ってきたポプリに興味を持った。そのとき彼は大学生、1970 年代終わりのことだ。
「当時はポプリなんて誰も知りませんでした。『こんな枯れた葉っぱが、なんで1000 円も2000 円もするんだ』って言われましたから。ハーブティを輸入したら、『蛇入ってるんですか』って。ハブ茶と思われた(笑)」
 なかなか価値が認められない。それでも挫けなかったのは、それが良い物だという確信があったからだ。
「小学生のころ、腎臓病にかかったんです。医者には『この病気とは一生のつきあいだ』と言われたけど、母の煎じた漢方薬を3年飲んだら完治してしまった。だからポプリに興味を持ち、ハーブの勉強を始めてすぐ、その価値に気づいたんです。洋の東西の違いはあるけれど、自然の植物の秘めている力を健康に役立てる方法ですから」
 本当に良い商品なら、いつか世の中が価値を認めるという信念で、地道に普及活動を続けた。同時にポプリからハーブ、アロマテラピー、さらにはアーユルヴェーダと、少しずつ守備範囲を広げた。こうして『生活の木』のショップは今や全国に117 店舗を数えるまでになったが、世間に認知されるようになったのはこの10 年、21 世紀に入ってからのことで、それまでの20 年間は「かなりマニアックな」商売でしかなかったという。それでも続けられたのは、川上から川下まで、つまり小売りだけでなく、ハーブの生産から一貫してこのビジネスに取り組む体制を築き上げたからだ。現在はスリランカにアーユルヴェーダを体験できる30 万平米のネイチャーリゾートホテルも経営している。
 もうひとつ、成功の秘密がある。それは学生時代に夢中になった音楽活動を封印したことだ。8年前ビジネスが軌道に乗ったころ、その封印を解き、経営者仲間とバンドを結成した。それが彼の2番目の顔。活動は年2、3回。みんな忙しいので、練習なしのぶっつけ本番になることが多いが、それでもその一日はミュージシャンを夢見た若者に戻り、無心でギターを弾く。「でも、いい大人が自己満足で音楽をやっても仕方ないので、チャリティです。演奏はイマイチでも、人脈だけはあるんで観客も寄付も集まる。社会貢献バンドって呼ばれてます」
 そう言って、重永さんは笑った。そういう夢の実現の仕方も、ある。
 

原宿表参道の一角で、三代にわたって商売を営んできた。写真は昭和40年当時。2階で祖父が写真スタジオを、1階で父が陶器店を営んでいたころ。やがてこの店の片隅で、重永さんはポプリを売り始める。
文・石川拓治(いしかわ・たくじ)
ノンフィクションライター。1961 年茨城県水戸市生まれ。主な著書に『奇跡のリンゴ』『37 日間漂流船長』(ともに幻冬舎文庫)『三つ星レストランの作り方』『(小学館)などがある。

撮影・吉永考宏